2012年05月06日
草津白根山 ~湯釜~
前半を雨に祟られたG・W。後半はと、天気予報と押し問答のすえ日帰りドライブへと出かける。
関越自動車道→上信越自動車道→長野自動車道の信州中野ICで降り、国道292号線で雪の残る
志賀高原へと走らせる。

草津方面からのルートも考えたが、インターネットの情報では混み合うような書き込みもあったので
長野からのルートを辿ってみた。
特に混み合う様子もなく、お天気のご機嫌も割合よい様子。何より、空気が旨い!!
平床大噴泉をチラリと眺め、横手山ドライブインへと昼食タイムである。
天ぷら饂飩を注文する。好きな讃岐うどん的食感の麺が旨かったことは言うまでもないが、信州と
いえば蕎麦である。
天ぷら蕎麦にすべきだったと、暫しの後悔を残し走ればすぐに雪の回廊がお目見えする。

沖縄生まれの私としては、うれしい景色である。

白根山へ到着。
売店ではストーブが焚かれ、訪れる観光バスの団体さんで狭い間口が渋滞を引き起こしている。
まだ氷の張る弓池を尻目に、湯釜へと向かう人の群れに参列する。
普段の生活が災いし体力のない身を、慣れた様子のチビッ子が“邪魔だどけ!”と言わんばかりに
眼を飛ばしてくる。
笑って見せたら、プイッとそっぽを向かれた。
君らもいずれこうなるのだよと、、、湯釜到着である。

標高2160mにある湯釜(ゆがま)は、直径約300m、水深約30m、水温約18℃の火口湖である。pHが1.0前後であり、世界でも有数の酸性度が高い湖、と言われている。
と、Wikipediaにはある。
湯釜近くで舞鶴草の美しい赤い実を見つける。エメラルドグリーンの優しさと裏腹のpH1、透き通るような美しい赤い実の有毒・・・。 女性も含め美しいものには裏があるのが世の習いの様だ。
草津へ下る。草津はまだ山桜が色を残し鶯のさえずりが心地よく、折角なので大滝の湯を楽しんだ後、
帰路へとつく。
途中、関越自動車道での休憩タイム上里SAでのモツ煮はまた格段に旨く感じられた。
最近は、SA(サービスエリア)巡りのバス旅行も企画されている様子。SA商戦の恩恵に預かれるのは、
ドライブ好きな者にとっては嬉しい限りである。
関越自動車道→上信越自動車道→長野自動車道の信州中野ICで降り、国道292号線で雪の残る
志賀高原へと走らせる。
草津方面からのルートも考えたが、インターネットの情報では混み合うような書き込みもあったので
長野からのルートを辿ってみた。
特に混み合う様子もなく、お天気のご機嫌も割合よい様子。何より、空気が旨い!!
平床大噴泉をチラリと眺め、横手山ドライブインへと昼食タイムである。
天ぷら饂飩を注文する。好きな讃岐うどん的食感の麺が旨かったことは言うまでもないが、信州と
いえば蕎麦である。
天ぷら蕎麦にすべきだったと、暫しの後悔を残し走ればすぐに雪の回廊がお目見えする。
沖縄生まれの私としては、うれしい景色である。
白根山へ到着。
売店ではストーブが焚かれ、訪れる観光バスの団体さんで狭い間口が渋滞を引き起こしている。
まだ氷の張る弓池を尻目に、湯釜へと向かう人の群れに参列する。
普段の生活が災いし体力のない身を、慣れた様子のチビッ子が“邪魔だどけ!”と言わんばかりに
眼を飛ばしてくる。
笑って見せたら、プイッとそっぽを向かれた。
君らもいずれこうなるのだよと、、、湯釜到着である。
と、Wikipediaにはある。
湯釜近くで舞鶴草の美しい赤い実を見つける。エメラルドグリーンの優しさと裏腹のpH1、透き通るような美しい赤い実の有毒・・・。 女性も含め美しいものには裏があるのが世の習いの様だ。
草津へ下る。草津はまだ山桜が色を残し鶯のさえずりが心地よく、折角なので大滝の湯を楽しんだ後、
帰路へとつく。
途中、関越自動車道での休憩タイム上里SAでのモツ煮はまた格段に旨く感じられた。
最近は、SA(サービスエリア)巡りのバス旅行も企画されている様子。SA商戦の恩恵に預かれるのは、
ドライブ好きな者にとっては嬉しい限りである。
2012年04月08日
桜狩り
休日をダラダラ過そうと思っていたのだが、今週が見ごろのテレビ報道に思い立ち
桜狩へと出かけてみる。
増上寺へとも思ったが、人波にのまれる程の気力は週末に残っておらず、近郊で知る人ぞ知る
場所は無いものかと、ネット検索をかけてみる。
大概の人は、同じような事をしているのかもしれないのだが・・・
大急ぎで朝支度を済ませ、車を走らせる。花の時期は曇りやすい。
下手な写真でも、9時から10時の間であれば比較的きれいに撮れると思っているので、何とか
その時間には現地に着きたかったのである。
カーナビ等という代物は、我がポンコツ車には搭載されておらずアナログに地図を横目にハンドルを
切る。
目指すは埼玉県志木市を流れる新河岸川にかかる富士下橋だ。
はじめての場所は、まだ人影まばらな花の頃である。
両土手の桜並木の美しさもさることながら、開けた空間が何とも言えず爽快感がある。
いい場所だ!!

奥に見えるのが富士下橋である。
時より、ふうわりと舞い落ちる花びらが優しい。

小さな子が桜を撮影中らしい。持ち物は私の知るカメラには見えないが、IT器具を操るのは
チビたちの方が私などより数段長けている事は間違いないので、手に持つものが何たるかは
知らなくとも、撮影行為であることだけは理解できる。
可愛いものである。

10時半ともなれば、案の定雲が湧き出てきて、風が忙しさを増し寒くなってきた。
気がつけば、人の数がだいぶ増えてきている。
これからの花見では寒かろうにと思いつつ、とっとと引き上げて来た。
桜狩へと出かけてみる。
増上寺へとも思ったが、人波にのまれる程の気力は週末に残っておらず、近郊で知る人ぞ知る
場所は無いものかと、ネット検索をかけてみる。
大概の人は、同じような事をしているのかもしれないのだが・・・
大急ぎで朝支度を済ませ、車を走らせる。花の時期は曇りやすい。
下手な写真でも、9時から10時の間であれば比較的きれいに撮れると思っているので、何とか
その時間には現地に着きたかったのである。
カーナビ等という代物は、我がポンコツ車には搭載されておらずアナログに地図を横目にハンドルを
切る。
目指すは埼玉県志木市を流れる新河岸川にかかる富士下橋だ。
はじめての場所は、まだ人影まばらな花の頃である。
両土手の桜並木の美しさもさることながら、開けた空間が何とも言えず爽快感がある。
いい場所だ!!
奥に見えるのが富士下橋である。
時より、ふうわりと舞い落ちる花びらが優しい。
小さな子が桜を撮影中らしい。持ち物は私の知るカメラには見えないが、IT器具を操るのは
チビたちの方が私などより数段長けている事は間違いないので、手に持つものが何たるかは
知らなくとも、撮影行為であることだけは理解できる。
可愛いものである。
10時半ともなれば、案の定雲が湧き出てきて、風が忙しさを増し寒くなってきた。
気がつけば、人の数がだいぶ増えてきている。
これからの花見では寒かろうにと思いつつ、とっとと引き上げて来た。
2012年03月31日
宮古島/海開き
東京にも桜の開花が伝えられる。が、残念ながら曇り空のようである。
花盛りの時期に、青梅の梅郷かはたまた有り余る桜の名所か桃源郷か、足利の藤も捨てがたいと
思案しつつ機を逃し初夏を迎えるのが常である。
迷わず、欲張らず、今期は出かけたいものである。
宮古島の与那覇前浜ビーチは明日4月1日に海開きの様子。
いよいよトライアスロンの季節を迎えるわけだ。今年は4月15日に行われるとのこと。
http://www.miyako-net.ne.jp/~strong/
海開きは、例年賑やかなイベントで行われているとの事。子どもの頃の記憶には、そんな行事は
無かったので、おそらくいつの頃からか村おこし的な意味合いもあり始まったのだろう。
海辺で海開きを祝う行事、しっくり来る感がある。そのうち参加してみたいと思う。
海開きの際にはまた、ユタ(霊能者)による祈願も行われているようだ。こちらも是非見てみたい。
海の安全を祈願するものように記載されるが、古い時代から全ての物に神が宿るとする信仰の島
の祈願は折に触れて行われていた。
その辺りから推察すれば、海への祈りは安全もさることながら豊漁への祈願と、もたらされる物への
感謝であったと思われる。
ところでこのユタであるが、はたして宮古島で昔からユタの語を用いていたのだろうか?と、ふと思う。
カンカカリャの語が、記憶の隅に残るからだ。
カンカカリャ、直訳すると『神かかる人』とでも言うのだろうか。
2012年03月25日
東京スカイツリー
駅に大きく貼り出されたポスター。
業平橋駅名が、2012年3月17日より『とうきょうスカイツリー駅』と改名の案内である。
在原業平
名にしおば いざ言問はむ都鳥 わが思う人はありや無しや
伊勢物語の一節は好きな歌である。
業平橋駅は、この業平にちなんだ名だったのだとか。
とうきょうスカイツリーの方が、PRも兼ね今風であるのかもしれない。個人的には
和文化の偲ばれる旧名の方が、墨田の町にしっくり来る気がする。
さて、そのスカイツリーでは5月22日の開業を前に、展望デッキの個人入場券の抽選受付が3/22より
スタートした様子。
350mで18歳以上が2,500円そう安くは無いが、話のネタに一度は上ってみたいものである。
人ごみの苦手な私は、一息ついた頃に出向く事となるだろう。
展望デッキのWeb申込も出来るようである。
http://www.tokyo-skytree.jp/reservation/index.html
にしても、やはり姿の美しさでは東京タワーの方が好みである。

業平橋駅名が、2012年3月17日より『とうきょうスカイツリー駅』と改名の案内である。
在原業平
名にしおば いざ言問はむ都鳥 わが思う人はありや無しや
伊勢物語の一節は好きな歌である。
業平橋駅は、この業平にちなんだ名だったのだとか。
とうきょうスカイツリーの方が、PRも兼ね今風であるのかもしれない。個人的には
和文化の偲ばれる旧名の方が、墨田の町にしっくり来る気がする。
さて、そのスカイツリーでは5月22日の開業を前に、展望デッキの個人入場券の抽選受付が3/22より
スタートした様子。
350mで18歳以上が2,500円そう安くは無いが、話のネタに一度は上ってみたいものである。
人ごみの苦手な私は、一息ついた頃に出向く事となるだろう。
展望デッキのWeb申込も出来るようである。
http://www.tokyo-skytree.jp/reservation/index.html
にしても、やはり姿の美しさでは東京タワーの方が好みである。
2012年03月22日
春分の日
春分の日、お江戸百景の広重の絵にもある『深川木場』へと呼び出される。
彼岸の最中、仏様をほっぽって旨いものでも食べようじゃないかと懐かしい顔ぶれが揃い
深川ギャザリアで蟹三昧に舌鼓を打つ。
たわいもない話題は、巣鴨地蔵へと移る。甘いものは別腹とはよく言ったものである。
どうやら女性の腹は限界を知らぬもののようだ。たらふく食した直後に巣鴨の塩大福へと
思いを寄せていようとは。
挙句の果てに、次回は巣鴨で逢うと言い出した。
そして『誰か私に赤いパンツをプレゼントして!』というのである。巣鴨でなくとも赤いパンツ
など何処にでも売っていようがと思いつつも、理由を聞いてみた。
プレゼントしてもらったそれを使用すれば、老後に下のお世話にならなくて良いのだとか
・・・・んな、馬鹿な。。
赤パンツ買ってくれとろと友の言い 宮古島
木場といえば「角乗」である。水に浮かぶ材木を鳶口一つで乗りこなして筏に組む作業の余技で
あるらしいが,多年の修練を必要とするようで、子供の頃に始めないと本物にならないとか。
ぜひ一度見てみたいものである。
かつては、那覇市の国場川にも沢山の丸太が浮かんでいたが、今はどうであろうか。
生前父が、台湾辺りからの流木が箪笥や建築資材として使われていたのだと話していたのを思い出す。
彼岸の最中、仏様をほっぽって旨いものでも食べようじゃないかと懐かしい顔ぶれが揃い
深川ギャザリアで蟹三昧に舌鼓を打つ。
たわいもない話題は、巣鴨地蔵へと移る。甘いものは別腹とはよく言ったものである。
どうやら女性の腹は限界を知らぬもののようだ。たらふく食した直後に巣鴨の塩大福へと
思いを寄せていようとは。
挙句の果てに、次回は巣鴨で逢うと言い出した。
そして『誰か私に赤いパンツをプレゼントして!』というのである。巣鴨でなくとも赤いパンツ
など何処にでも売っていようがと思いつつも、理由を聞いてみた。
プレゼントしてもらったそれを使用すれば、老後に下のお世話にならなくて良いのだとか
・・・・んな、馬鹿な。。
赤パンツ買ってくれとろと友の言い 宮古島
木場といえば「角乗」である。水に浮かぶ材木を鳶口一つで乗りこなして筏に組む作業の余技で
あるらしいが,多年の修練を必要とするようで、子供の頃に始めないと本物にならないとか。
ぜひ一度見てみたいものである。
かつては、那覇市の国場川にも沢山の丸太が浮かんでいたが、今はどうであろうか。
生前父が、台湾辺りからの流木が箪笥や建築資材として使われていたのだと話していたのを思い出す。
2012年03月18日
宮古島/サニツ(浜下り)
今年もサニツの頃となる。
サニツとは、旧暦の3月の含みを持たせた3日の日(サンニチ)が訛ったサニツだろうと思われる。
今年は閏年ということで旧暦3月が2回あり、3月の22日と4月21日が旧暦の3月1日にあたる。
伝統的に行われてきたサニツ(旧3月3日)の響きは、記憶の中の母子の浜下りを捲りだす。
子どもの頃より、特に思うことも無くサニツの言葉で馴染んできた3月3日であるが、数々の磯遊び
を母に教わったのは、紛れも無くこの時期なのである。
東急リゾートホテル前の白砂の美しい前浜と栗間島の中間には、サニツの頃に出現する海底砂州
の様なものがある。
引き潮の頃、母子で歩いて渡り満潮の時間を気にしつつ、ハマグリを漁った事。
道具など使わずに、踵を支点に足首を左右に動かすと少しづつ砂が掘られ、ハマグリが姿を見せる。
元気のいい奴が、時々スッと逃げかけるがそうはさせない。左手に持つ入れ物にすかさず放り込み
後の戦利品勝負に挑むのである。
何処の海だったのか忘れたが、岩と荒砂と泥の浜では、10cm位のエビの取り方を教わった。
引き潮の浜の石を次々とひっくり返し、水の濁る前の一瞬でエビの姿を確認。後は濁り水の中へ
手を突っ込んで瞬時の記憶をより所に砂ごと鷲掴み・・・原始的な捕獲であるがこれが実に楽しい。
エビのチッチッチッとした鳴き声が懐かしい。
そういえば最近では八重干瀬(ヤビジ)観光で知られるサニツだが、今年の八重干瀬まつりは
4月7日・8日で行うようだ。
年に一度の出現といわれるヤビジだが、実はこの時期であればチョコチョコ出現をしている。
干満の潮の具合で、大中小の違いこそあれ姿を見せるのである。
かつて海が好きな父が、小船でヤビジ辺りの漁を行いたくさんの魚介を早朝の庭先に広げ
鱗を掻き、腹を出し捌いていた姿が、目覚めた朝一番の光景だった事を思い出す。
茹でた貝は、殻からだして酢醤油あるいは酢味噌で和えて食卓の一品を飾る。
漁より持ち帰って直ぐに、ご近所分けしてもまだ余るそれ等のものは、時には漁連へ持ち込み
売ってきた事もあった。それほどまでに、海の恵みは豊かであったのである。
多くの観光客で賑わう八重干瀬に、地元では獲物がいなくなったとの声も聞こえるが、観光税も
大切な収入源である小島の悲しさに、この時期のまつりはこれからも続いてゆくのだろう。
女・子どもの浜下りは、まだ楽しめているのだろうか?
エビはイソハマグリはたくさん見つけられるだろうか?
古来からあるサニツの行事が、変わらずに有ってくれている事をこころより願っている。
サニツとは、旧暦の3月の含みを持たせた3日の日(サンニチ)が訛ったサニツだろうと思われる。
今年は閏年ということで旧暦3月が2回あり、3月の22日と4月21日が旧暦の3月1日にあたる。
伝統的に行われてきたサニツ(旧3月3日)の響きは、記憶の中の母子の浜下りを捲りだす。
子どもの頃より、特に思うことも無くサニツの言葉で馴染んできた3月3日であるが、数々の磯遊び
を母に教わったのは、紛れも無くこの時期なのである。
東急リゾートホテル前の白砂の美しい前浜と栗間島の中間には、サニツの頃に出現する海底砂州
の様なものがある。
引き潮の頃、母子で歩いて渡り満潮の時間を気にしつつ、ハマグリを漁った事。
道具など使わずに、踵を支点に足首を左右に動かすと少しづつ砂が掘られ、ハマグリが姿を見せる。
元気のいい奴が、時々スッと逃げかけるがそうはさせない。左手に持つ入れ物にすかさず放り込み
後の戦利品勝負に挑むのである。
何処の海だったのか忘れたが、岩と荒砂と泥の浜では、10cm位のエビの取り方を教わった。
引き潮の浜の石を次々とひっくり返し、水の濁る前の一瞬でエビの姿を確認。後は濁り水の中へ
手を突っ込んで瞬時の記憶をより所に砂ごと鷲掴み・・・原始的な捕獲であるがこれが実に楽しい。
エビのチッチッチッとした鳴き声が懐かしい。
そういえば最近では八重干瀬(ヤビジ)観光で知られるサニツだが、今年の八重干瀬まつりは
4月7日・8日で行うようだ。
年に一度の出現といわれるヤビジだが、実はこの時期であればチョコチョコ出現をしている。
干満の潮の具合で、大中小の違いこそあれ姿を見せるのである。
かつて海が好きな父が、小船でヤビジ辺りの漁を行いたくさんの魚介を早朝の庭先に広げ
鱗を掻き、腹を出し捌いていた姿が、目覚めた朝一番の光景だった事を思い出す。
茹でた貝は、殻からだして酢醤油あるいは酢味噌で和えて食卓の一品を飾る。
漁より持ち帰って直ぐに、ご近所分けしてもまだ余るそれ等のものは、時には漁連へ持ち込み
売ってきた事もあった。それほどまでに、海の恵みは豊かであったのである。
多くの観光客で賑わう八重干瀬に、地元では獲物がいなくなったとの声も聞こえるが、観光税も
大切な収入源である小島の悲しさに、この時期のまつりはこれからも続いてゆくのだろう。
女・子どもの浜下りは、まだ楽しめているのだろうか?
エビはイソハマグリはたくさん見つけられるだろうか?
古来からあるサニツの行事が、変わらずに有ってくれている事をこころより願っている。
2012年03月10日
急げ!スーパー銭湯
風呂釜が壊れるという事態が発生。慌てて、ガス会社へと連絡を入れ収束の事態を待つ。
さてさて、先ずは近場に銭湯は無いかとネット検索である。
これが以外に無いのである。
イメージとしては、子どもの頃に、あるいは独身時代に慣れ親しんだ銭湯であるのだが・・
そんなものは見当たらない様子。代わって、スーパー銭湯なるものがヒットし、一番の近場へ
車で10分ほどかけて通う事となる。
これが以外に高いのであった。入浴料だけで一人650円~750円程度となる。家族5人での
利用となると700円で計算しても3500円也ということになる。
まあ、普通であれば日常使いにする場所でもないのだろうから、そう高い金額とは言えない
のだが、不測の事態を乗り切る我が家にとっては痛手である。
我が家の釜は器具の老朽化により取替えとなり、場合によっては部品の取り寄せやらなにやらで
1ヶ月程かかるやも知れずと・・・・
あきらめて、スーパー銭湯通いを楽しむべしと思いつつも、帰宅時間の遅い我が家は、銭湯の
営業時間をも考慮に入れた生活を余儀なくされる厄介さとなる。
思えば幼い頃は日常使いの銭湯だった。日のまだ高いうちに母子で銭湯へ行った。木枠のベビー
ベットが端に1つ置かれ、その横にはかなりの重量が量れそうなずっしりと重い体重計が置かれていた。
洗髪を嫌がる子の泣き声、母親のなだめる声、大声で話す子らの笑い声等などが、銭湯内に響き渡る。
番台に座すおばさんが、何事もないように時より一瞥し手元の本へと集中する。
懐かしい思い出である。
当時の入浴料金が幾らであったのかは思い出せないが、子沢山な島の日常使いの銭湯である。生活に
優しい程度のものと思われる。
入り口付近に福沢心訓が張り出されていた記憶だけは、何故かしっかり残っている。
指先の腹が皺皺になるほどの熱風呂から帰り、少しばかりおとなしくなったヤンチャな子らを横目に
母は夕食の仕度に忙しく動き回る。当時の我が家の夕食は、職人だった父の腹時計に合わせた
18時であった。ゆったりと過ぎた過去の時間である。
寝る間を惜しんで働く今に、昔ながらの銭湯は時代のニーズに合わないのだろうと思い至る。
少し寂しい気もするが、やはり好きな時間に入れる我が家の風呂こそが、時間不足の時代に
マッチしているのだろう。
だからこそ、少しの時間ができた時に癒しの温泉へと老いも若きも向かうのかもしれない。
さてさて、先ずは近場に銭湯は無いかとネット検索である。
これが以外に無いのである。
イメージとしては、子どもの頃に、あるいは独身時代に慣れ親しんだ銭湯であるのだが・・
そんなものは見当たらない様子。代わって、スーパー銭湯なるものがヒットし、一番の近場へ
車で10分ほどかけて通う事となる。
これが以外に高いのであった。入浴料だけで一人650円~750円程度となる。家族5人での
利用となると700円で計算しても3500円也ということになる。
まあ、普通であれば日常使いにする場所でもないのだろうから、そう高い金額とは言えない
のだが、不測の事態を乗り切る我が家にとっては痛手である。
我が家の釜は器具の老朽化により取替えとなり、場合によっては部品の取り寄せやらなにやらで
1ヶ月程かかるやも知れずと・・・・
あきらめて、スーパー銭湯通いを楽しむべしと思いつつも、帰宅時間の遅い我が家は、銭湯の
営業時間をも考慮に入れた生活を余儀なくされる厄介さとなる。
思えば幼い頃は日常使いの銭湯だった。日のまだ高いうちに母子で銭湯へ行った。木枠のベビー
ベットが端に1つ置かれ、その横にはかなりの重量が量れそうなずっしりと重い体重計が置かれていた。
洗髪を嫌がる子の泣き声、母親のなだめる声、大声で話す子らの笑い声等などが、銭湯内に響き渡る。
番台に座すおばさんが、何事もないように時より一瞥し手元の本へと集中する。
懐かしい思い出である。
当時の入浴料金が幾らであったのかは思い出せないが、子沢山な島の日常使いの銭湯である。生活に
優しい程度のものと思われる。
入り口付近に福沢心訓が張り出されていた記憶だけは、何故かしっかり残っている。
指先の腹が皺皺になるほどの熱風呂から帰り、少しばかりおとなしくなったヤンチャな子らを横目に
母は夕食の仕度に忙しく動き回る。当時の我が家の夕食は、職人だった父の腹時計に合わせた
18時であった。ゆったりと過ぎた過去の時間である。
寝る間を惜しんで働く今に、昔ながらの銭湯は時代のニーズに合わないのだろうと思い至る。
少し寂しい気もするが、やはり好きな時間に入れる我が家の風呂こそが、時間不足の時代に
マッチしているのだろう。
だからこそ、少しの時間ができた時に癒しの温泉へと老いも若きも向かうのかもしれない。
2012年03月04日
ひな祭り
いにしえの雅をかざし雛の段 宮古島
思わず、下手な句でも捻りたくなるような百段階段ひな祭りである。
友人に誘われ訪れた目黒雅叙園で、過剰な美といわれるほどの日本画が出迎えてくれた。
< 一階通路沿いの一コマ >
ひいな遊びのお粗末な人形は、立ち雛、流し雛と時の流れに変化しつつ十二単の元禄雛で、雅を
今に留めているようだ。
実際には、99段であると誰かの説明を受けた気がするが、その百段階段沿いの雅な小部屋に雛は
飾られていた。
男雛が向かって右側に来るよう飾られていたのが、多かったような気がする。
俗に、関西は男雛が向かって右へ関東は左へ飾ると言われたりもするようだが、事の発端は大正
天皇が洋文化を意識して婦人の右側に立ったのが始まりだとか。
それ以前は男性が上の位である左側に来るのが常であったようなので、その名残で関西方面は
古代式の男雛の右飾りのようである。
とすれば雛飾りは関西飾り、関東飾りいずれであっても個人の好みで良いと言う事にはなるまいか。
ひとつ、大きな日本地図に全国の雛人形と言う事で、そこそこの地域の特徴のある男女の対雛を
一目で分かるようにと配置してあったのだが、その中の沖縄県に琉球の衣装を纏った対雛を発見。
はて??沖縄にひな祭りの文化は無い様に思うのだがと、不思議な感覚になる。
私の認識不足か、少なくとも宮古島においては自信を持ってなかったと言える。
かつて料亭であったと言う百段階段沿いの二間続きの部屋の装飾・造りはため息が出るほど
素晴らしい物であった。
エレベーター内での華美ずぎるほどの装飾は、その中だけに留まらず一階トイレを含めそこかし
こに、漆・蒔絵・螺鈿が施されている。
色調も黒と朱色がふんだんに使われており、その贅を満喫しつつも何となく遊郭のイメージが
脳裏を過ぎったりもした。
かつての高級料亭では風呂も付いていたのだとか。料亭備え付けの風呂は昭和32年の
赤線廃止後ほとんど見られなくなったと聞く。
高級料亭とはいえ、風俗的な色気も少しあったのかも知れないと思ったりもするのだが、
その日も、花嫁花婿が祝福するもの達に冷やかされながら、記念写真の撮影を行っていた。
2012年02月19日
春の海/東京ゲートブリッヂ
急に海が見たくなり出かけてみる。
手近なところで、東京ディズニーオフィシャルホテルに宿を取り春浅い海を眺める。

空には飛行機が次々と飛び立つ様子が見え、海上では魚場へ向かう漁船やらモーターボートらしき
ものの跡白浪に描く曲線が賑やかである。海はまだ冬の色か。
遠くに白帆と思いきや『海ほたる』であると、飛行機好きな息子がポツリと一言。

夕景に帰り船のシルエットが少し寂しい。2月12日に開通したばかりの東京ゲートブリッヂが、
遠くに見える。
宮古島の海とは当然比較にはならないが、それでも海はいい。気持ちを穏やかにしてくれる。
夜景の美しいゲートブリッヂを眺めつつ、ゆったりとしたホテルの一室でのんびりとする時間が、
明日への英気となる。

折角なので少し大回りをして、開通したばかりの東京ゲートブリッヂを通り自宅へと向かう。
橋の片側に歩道が用意されていて歩行者も何人か見られる。
橋の途中では人が湧き出している様子が伺える。
どうやら、ブリッヂの下辺りに駐車場でもあり、階段だかエレベータだかで上がってきているものと思われる。
曇天の日の海上の風の寒さに立ち向かう勇気はなく、車降は春を待っての次の機会とした。
手近なところで、東京ディズニーオフィシャルホテルに宿を取り春浅い海を眺める。

空には飛行機が次々と飛び立つ様子が見え、海上では魚場へ向かう漁船やらモーターボートらしき
ものの跡白浪に描く曲線が賑やかである。海はまだ冬の色か。
遠くに白帆と思いきや『海ほたる』であると、飛行機好きな息子がポツリと一言。

夕景に帰り船のシルエットが少し寂しい。2月12日に開通したばかりの東京ゲートブリッヂが、
遠くに見える。
宮古島の海とは当然比較にはならないが、それでも海はいい。気持ちを穏やかにしてくれる。
夜景の美しいゲートブリッヂを眺めつつ、ゆったりとしたホテルの一室でのんびりとする時間が、
明日への英気となる。

折角なので少し大回りをして、開通したばかりの東京ゲートブリッヂを通り自宅へと向かう。
橋の片側に歩道が用意されていて歩行者も何人か見られる。
橋の途中では人が湧き出している様子が伺える。
どうやら、ブリッヂの下辺りに駐車場でもあり、階段だかエレベータだかで上がってきているものと思われる。
曇天の日の海上の風の寒さに立ち向かう勇気はなく、車降は春を待っての次の機会とした。
2012年02月11日
宮古島/二十日正月
二十日正月(はつかしょうがつ)とは日本の行事。1月20日のことを指し、この日を正月の終りと
なる節目の日とする土地も多い。と、Wikipediaにはある。
宮古島における二十日正月が城辺比嘉部落では、無形民族文化財の獅子舞で賑やかに行われると聞き
その由来について調べてみる。
無病息災、 五穀豊穣、 安全祈願とあわせた喜びの二十日正月と言う事になるのだろう。
ところでこの獅子であるが、中国のそれと似ている。全身毛むくじゃらの四足である。
オメメぱちくりの中国獅子舞のような曲芸的な動きはないまでも、毛むくじゃら加減はまさに
親戚筋なのである。
古琉球の国際貿易の名残を感じてしまうと言えば、いささか大げさだろうか。
おまけ***
ちなみに、古くはこの二十日正月が鏡開きの日であったようだ。
1月11日に変更されたのは、徳川家光が亡くなったのが慶安4年(1651年)4月20日 (旧暦)で
あったためとも、商家の「蔵開き」が行われていた日に合わせたとも言われるという。
なる節目の日とする土地も多い。と、Wikipediaにはある。
宮古島における二十日正月が城辺比嘉部落では、無形民族文化財の獅子舞で賑やかに行われると聞き
その由来について調べてみる。
毎年、 旧暦1月20日に行われる行事は、 1908 (明治41) 年に字有地の財産処分をめぐって士族と平民が争い訴訟にまで発展したが、 双方が部落の将来を心配して話し合いで和解し、 その記念日を祝う行事 「パツカショウガツ」 として1913 (大正2) 年に始まったとされる。
無病息災、 五穀豊穣、 安全祈願とあわせた喜びの二十日正月と言う事になるのだろう。
ところでこの獅子であるが、中国のそれと似ている。全身毛むくじゃらの四足である。
オメメぱちくりの中国獅子舞のような曲芸的な動きはないまでも、毛むくじゃら加減はまさに
親戚筋なのである。
古琉球の国際貿易の名残を感じてしまうと言えば、いささか大げさだろうか。
おまけ***
ちなみに、古くはこの二十日正月が鏡開きの日であったようだ。
1月11日に変更されたのは、徳川家光が亡くなったのが慶安4年(1651年)4月20日 (旧暦)で
あったためとも、商家の「蔵開き」が行われていた日に合わせたとも言われるという。
2012年02月07日
宮古島/十六日
本日は、旧暦の一月十六日である。古来より旧暦一月十六日を大切にする習慣が
沖縄にある。
あれこれ見てみれば、十六日とはグソー(あの世)の正月であるとの表現が目に付く。
こだわる訳ではないが、宮古島方言と沖縄本島の方言がシャッフルされた表現が
多く感じられる昨今である。
グソーとは沖縄本島の方言なのだろう。宮古島ではグショォとの発音になるはず。
後生の言葉が訛ったものだと勝手に解釈している。十六日の発音も沖縄本島とは
やや異なる。十六日(ジュウルクニツ)が、立派な宮古訛りという事になる。
とはいえ、小さな宮古島でも地域によっていささか発音の違いがある。私の馴染む
方言でザックリと紹介してみた。
ほんの40年くらい前まで島では、旧暦で正月を行っていた。人のための正月を終え
10日も過ぎれば、今度は後生の為の正月。お重につめた料理をまずは墓前に供え
て後に、集まった親戚で墓の入り口付近でそのまま料理をいただくのだ。
何かの記事で知った事だが、かつては墓参りのために学校そのもを休みとする事も
していたようだ、もちろん今ではそんな事はしない訳だが、そんな慣習が残っていても
良かったのではないかと思う。
思いを巡らせば、小学生の頃親族と墓に集った記憶はお昼過ぎ頃だった気がする。
本来なら、子どもは学校の時間である。そこで大人と共に楽しんでいたのだから、
やはり学校が休みとなっていたのだろう。
そんな島の慣習は、後生にある先祖の魂とともに今もあるのだとの思いを繋いで来た
からなのだろう。
沖縄本島に三重城(ミーグスク)なる場所がある。十六日に島帰りできない沖縄本島
以南の先島の人たちが、手を合わせるという場所である。
今でこそ那覇⇔宮古島間は飛行機で30分程度の距離だが、私などの幼い頃は夕方に
宮古島を出た船が那覇港へ到着するのは翌朝であった。
出る船を桟橋で涙ながらに見送る紙テープが海面に触れ、千切れ行く別れの切なさ
が思い出される。今生の別れにも似た感慨で有った。
それほどに、宮古島と沖縄本島の距離は遠すぎる時代だったように思う。
そんな旅の人となった者が、日々明け暮れる生活に帰省もままならない時代があった
としても不思議はあるまい。
島への思いを抱き、三重城(ミーグスク)の場所から島へ向けて香を焚き、手を合わせ
たとしたら・・・・歴史をひもとけば、もっと単純で合理的な説明となるのかもしれないが、
私自身は時代の悲しみと、望郷の念と目には見えない脈々としたものを三重城(ミーグ
スク)の場所に感じていたいと思う。
沖縄にある。
あれこれ見てみれば、十六日とはグソー(あの世)の正月であるとの表現が目に付く。
こだわる訳ではないが、宮古島方言と沖縄本島の方言がシャッフルされた表現が
多く感じられる昨今である。
グソーとは沖縄本島の方言なのだろう。宮古島ではグショォとの発音になるはず。
後生の言葉が訛ったものだと勝手に解釈している。十六日の発音も沖縄本島とは
やや異なる。十六日(ジュウルクニツ)が、立派な宮古訛りという事になる。
とはいえ、小さな宮古島でも地域によっていささか発音の違いがある。私の馴染む
方言でザックリと紹介してみた。
ほんの40年くらい前まで島では、旧暦で正月を行っていた。人のための正月を終え
10日も過ぎれば、今度は後生の為の正月。お重につめた料理をまずは墓前に供え
て後に、集まった親戚で墓の入り口付近でそのまま料理をいただくのだ。
何かの記事で知った事だが、かつては墓参りのために学校そのもを休みとする事も
していたようだ、もちろん今ではそんな事はしない訳だが、そんな慣習が残っていても
良かったのではないかと思う。
思いを巡らせば、小学生の頃親族と墓に集った記憶はお昼過ぎ頃だった気がする。
本来なら、子どもは学校の時間である。そこで大人と共に楽しんでいたのだから、
やはり学校が休みとなっていたのだろう。
そんな島の慣習は、後生にある先祖の魂とともに今もあるのだとの思いを繋いで来た
からなのだろう。
沖縄本島に三重城(ミーグスク)なる場所がある。十六日に島帰りできない沖縄本島
以南の先島の人たちが、手を合わせるという場所である。
今でこそ那覇⇔宮古島間は飛行機で30分程度の距離だが、私などの幼い頃は夕方に
宮古島を出た船が那覇港へ到着するのは翌朝であった。
出る船を桟橋で涙ながらに見送る紙テープが海面に触れ、千切れ行く別れの切なさ
が思い出される。今生の別れにも似た感慨で有った。
それほどに、宮古島と沖縄本島の距離は遠すぎる時代だったように思う。
そんな旅の人となった者が、日々明け暮れる生活に帰省もままならない時代があった
としても不思議はあるまい。
島への思いを抱き、三重城(ミーグスク)の場所から島へ向けて香を焚き、手を合わせ
たとしたら・・・・歴史をひもとけば、もっと単純で合理的な説明となるのかもしれないが、
私自身は時代の悲しみと、望郷の念と目には見えない脈々としたものを三重城(ミーグ
スク)の場所に感じていたいと思う。
2012年02月04日
立春
早春賦の歌に「春は名のみの風の寒さや…」とある。
今日は立春であり、そして寒波の影響による被害報道やらキーボードを叩く指の冷たさに
早春賦の歌詞がふと頭をよぎるのである。
宮古島での頃に「立春」の言葉を耳にした記憶は無い。が、旧暦を操る文化の残る島である。
もしやと思い本日の地方紙などを覗いてみるが、それらしい記事を見つけられなかった。
常夏の島といわれる沖縄である、立春を意識する機会が薄いこともあるのだろう。
それよりも数日後に控える”十六日(ジュウロクニツ)”への思いの方が強いのかもしれない。
さて、年の初めの文言に新春あるいは早春がある。
正月より2月にかけては寒く、暦の立春の声を聞いてもまだまだ寒さ厳しき折との表現があう
ように思われるが、自身の賀状の筆もすっきりしない思いとは別に「新春を寿ぎ・・」などと走ら
せていたりする。
これは旧暦使用の頃に、正月と立春が同じ頃にあった為の名残の言葉のようである。
今年の旧暦では、立春の今日は1月13日にあたる。
しかし、「年内立春」との言葉もあるようで、旧暦の正月前に来る立春を言うようである。
グレゴリオ暦の今日では余り使われる事の無い言葉だろうが面白みを感じる。
2012年01月09日
成人の日に
本日元服の日である。かつては1月15日で行っていた成人式、TVニュースで今日であった事を
慌てて思い出す。とは言え、近しい者に新成人がいるわけでもない。
TV報道によれば今年の新成人は122万人だとか。
私的に乱暴な計算をしてみた。1県あたり270万弱人口の2.6万人弱が新成人の占める割合と
言う事になる。ベビーブームの再来に期待するとともに、個人レベルで少子化への歯止めに
奮闘する、我が愚弟や友人たちに心から感謝したい。
この頃になると成人の式典のヤンチャな報道やらが取りざたされたりもする。
特に沖縄の成人式を取り上げるニュース報道が強烈らしく、沖縄の成人式は報道が通常である
という様な認識で話しかけられたりもする。
昔ほどの無意味な厳粛さは必要ないとしても、式典に対する意識が祭化している事は否めない
だろう。
江戸時代よろしく、前髪でも剃って月代にする事を成人式に行う形にすれば成人の儀の重さも
若干は感じられるかもしれない。となると、成人祝いは褌がよい。自治体の代表者が褌親(へ
こおや)となり、これからの人生、褌(ふんどし)をしめて行け!!と、臓器提供申込書の代わりに
温かな言葉をかけてやるのである。
語りに聞く嫁ぐ日
成人とくれば結婚をイメージするのは、私だけだろうか?
草食系だの晩婚化だのの言葉を聞くも久しいが、日本国憲法によれば男性は18歳,女性は16歳
で自由に結婚できる事となっている。
宮古島での話であるが、部落の中での結婚が中心の時代だった頃、部落外の人の元へ嫁ぐ娘がいた。
部落の青年たちは花嫁の乗る馬車道へと、肥溜めのそれを撒き散らかしたり、歩きづらくなる
様に草ものを撒き散らかしたりしたのだそうだ。もちろん、馬車が通る前の道にである。
現在だと嫌がらせのようにも見えるが、それが青年たちからの祝いの気持を表す行為だったようだ。
部落から娘が一人減るとの思いもあったのかもしれない。話をしてくれた老人が、「だけどまた、
余り人気のない娘には、そんな事はしないよぉ」と、嬉しそうに微笑んでいた。
50余年も前の母の嫁入りの日の初めて聞くエピソードである。
昭和30年代と言えば新法の適用されている頃だが、他の片田舎よろしく宮古島においても、旧
民法772条1項「子カ婚姻ヲ為スニハ其家ニ在ル父母ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス 但男カ満三十年
女カ満二十五年ニ達シタル後ハ此限ニ在ラス」は息づいていた。
嫁ぐのが嫌で、沖縄本島へ逃げ出そうとしていた母の思いを、「馬には乗ってみろ、人には添ってみ
ろと昔の人は言う。いい人のように見えるので短気を起こしてはいけない」と、大祖母が宥めての
嫁入りであった事は、生前本人より聞いていた。
勿論、結婚だけが人生ではない。新成人には全てにおいて骨太な生き方を望みたい。
慌てて思い出す。とは言え、近しい者に新成人がいるわけでもない。
TV報道によれば今年の新成人は122万人だとか。
私的に乱暴な計算をしてみた。1県あたり270万弱人口の2.6万人弱が新成人の占める割合と
言う事になる。ベビーブームの再来に期待するとともに、個人レベルで少子化への歯止めに
奮闘する、我が愚弟や友人たちに心から感謝したい。
この頃になると成人の式典のヤンチャな報道やらが取りざたされたりもする。
特に沖縄の成人式を取り上げるニュース報道が強烈らしく、沖縄の成人式は報道が通常である
という様な認識で話しかけられたりもする。
昔ほどの無意味な厳粛さは必要ないとしても、式典に対する意識が祭化している事は否めない
だろう。
江戸時代よろしく、前髪でも剃って月代にする事を成人式に行う形にすれば成人の儀の重さも
若干は感じられるかもしれない。となると、成人祝いは褌がよい。自治体の代表者が褌親(へ
こおや)となり、これからの人生、褌(ふんどし)をしめて行け!!と、臓器提供申込書の代わりに
温かな言葉をかけてやるのである。
語りに聞く嫁ぐ日
成人とくれば結婚をイメージするのは、私だけだろうか?
草食系だの晩婚化だのの言葉を聞くも久しいが、日本国憲法によれば男性は18歳,女性は16歳
で自由に結婚できる事となっている。
宮古島での話であるが、部落の中での結婚が中心の時代だった頃、部落外の人の元へ嫁ぐ娘がいた。
部落の青年たちは花嫁の乗る馬車道へと、肥溜めのそれを撒き散らかしたり、歩きづらくなる
様に草ものを撒き散らかしたりしたのだそうだ。もちろん、馬車が通る前の道にである。
現在だと嫌がらせのようにも見えるが、それが青年たちからの祝いの気持を表す行為だったようだ。
部落から娘が一人減るとの思いもあったのかもしれない。話をしてくれた老人が、「だけどまた、
余り人気のない娘には、そんな事はしないよぉ」と、嬉しそうに微笑んでいた。
50余年も前の母の嫁入りの日の初めて聞くエピソードである。
昭和30年代と言えば新法の適用されている頃だが、他の片田舎よろしく宮古島においても、旧
民法772条1項「子カ婚姻ヲ為スニハ其家ニ在ル父母ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス 但男カ満三十年
女カ満二十五年ニ達シタル後ハ此限ニ在ラス」は息づいていた。
嫁ぐのが嫌で、沖縄本島へ逃げ出そうとしていた母の思いを、「馬には乗ってみろ、人には添ってみ
ろと昔の人は言う。いい人のように見えるので短気を起こしてはいけない」と、大祖母が宥めての
嫁入りであった事は、生前本人より聞いていた。
勿論、結婚だけが人生ではない。新成人には全てにおいて骨太な生き方を望みたい。
2012年01月08日
七草粥
2012年1月7日 (旧暦:12月14日)
無病息災を願う七草粥が食卓に上がる日である。子供の頃の記憶には、鏡開きはあるものの
七草粥については全く無い。個人的には、宮古島における七草粥の習慣は無かったものと思う。
地元紙によると沖縄本島辺りでは「七草粥セット」が、スーパーに並ぶようになったのだとか。
宮古島あたりにもその風潮があるのかもしれない。
さて、気になったのは「ななくさ」の言葉である。“七草”と“七種”の文字があるが、共に
読みは「ななくさ」である。
「春の七草」はセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ
(ダイコン)となるわけだが…
興味深い記事を見つけたので引用してみる。
- 風俗博物館より -
中国文化の濃い沖縄である。「供若菜(わかなをくうず)」行事の欠片など、もしかすると
島のどこかに見つける事ができるかもしれない。
上記の引用からだと、粥に入れなければ“七種”として呼ぶのであろうか?yahoo辞書では、
七草も七種も同じとされているようだが、「意味あって分けて考えます」の方が面白い。
古くは、米、粟、キビ、ヒエ、ゴマ、小豆、蓑を七種としたようだが、こちらの方は形状から
“七種”と呼ぶに相応しいような気がするし、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノ
ザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)等の粥になる頃の姿から“七草”の方がすっきり
すると、個人的な思いは頑なである。
無病息災を願う七草粥が食卓に上がる日である。子供の頃の記憶には、鏡開きはあるものの
七草粥については全く無い。個人的には、宮古島における七草粥の習慣は無かったものと思う。
地元紙によると沖縄本島辺りでは「七草粥セット」が、スーパーに並ぶようになったのだとか。
宮古島あたりにもその風潮があるのかもしれない。
さて、気になったのは「ななくさ」の言葉である。“七草”と“七種”の文字があるが、共に
読みは「ななくさ」である。
「春の七草」はセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ
(ダイコン)となるわけだが…
興味深い記事を見つけたので引用してみる。
七種粥(ななくさがゆ)と七草粥
七種粥は正月十五日の行事であり、小豆粥もそれを起源とするが、七草粥はまったく別個のものである。これは正月七日の「供若菜(わかなをくうず)」という行事に由来する。中国渡来のもので、元日から八日まで鶏、狗、羊、猪、牛、馬、人、穀をそれぞれ当て、七日を「人日(じんじつ)」とし、人日の行事として行うものである。
この日、若菜を羹(あつもの)(熱い汁物)にして食すと邪気を払うとされ、醍醐天皇の頃にはすでに宮廷行事となっており、貴族、女房達の間にもさかんに行われた。『枕草子』等の王朝文学にも多く登場する。子の日の若菜摘みとも別個の行事である。若菜の種類は一定しないが、『河海抄』に「せりなづなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろこれぞ七種(くさ)」とあり、この七種類が有名である。
室町時代以降、粥に入れられ、「七草粥」とよばれて現在に至っている。
- 風俗博物館より -
中国文化の濃い沖縄である。「供若菜(わかなをくうず)」行事の欠片など、もしかすると
島のどこかに見つける事ができるかもしれない。
上記の引用からだと、粥に入れなければ“七種”として呼ぶのであろうか?yahoo辞書では、
七草も七種も同じとされているようだが、「意味あって分けて考えます」の方が面白い。
古くは、米、粟、キビ、ヒエ、ゴマ、小豆、蓑を七種としたようだが、こちらの方は形状から
“七種”と呼ぶに相応しいような気がするし、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノ
ザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)等の粥になる頃の姿から“七草”の方がすっきり
すると、個人的な思いは頑なである。
2012年01月02日
かやぶきの郷

正月を迎えるに当たり、群馬県吾妻にある「かやぶきの郷」へと
出かけてみる。
何故かこの名が覚えられず、何度「かたあきの里」との言葉が
頭をよぎった事か。
はて?なぜこの名だろうかと思いを巡らせば、過去記事でちょいと
ばかり触れた「赤瓦集落 かたあきの里」である事が発覚。
認知症よろしく、古い記憶が頭をもたげていたのである。
まあ、そんな事は忘れてしまえと関越自動車道を高崎ICで降り
国道406号線をひたすら草津方面へと向かう。
この国道406号線沿いに“薬師温泉 旅籠(はたご)”はある。
案内通りの所要時間2時間で見事到着である。
思ったよりはこじんまりとした郷の形成だが、移築された茅葺の
建物内部は、温みのある色合いの電灯が魅了させる。



茅葺屋根と言えば、宮古島で言う所のヌウマタツ(馬小屋)位しか記憶
になく、瓦屋根は人間の為の茅葺屋根は家畜の為のものと、いつの間
にか刷り込まれていた気がする。
ようやく物の良さがわかるほどに年を重ね、こうして足が向いたりする
のかもしれない。
露天風呂はさすがに寒かった。
残念なことに湯の温度がそれほど高くなく、半ば震えながら体を洗うも
早々に湯屋を出て休憩室でしばし暖をとる羽目となった。
内風呂の方を選択すべきだったと反省しきりに昼食へと向かう。
食事は素材に対する宿のこだわりだろうか、とても美味しく頂くことが
できた。

吊るし柿である。
実に長閑な正月がうれしい。
2011年12月23日
宮古島 冬至(とぅんじー)
2011.12.22全国的な「冬至」の日である。
太陰太陽暦が長く生活に馴染む島では、冬至(トゥンジー)の日を冬至正月
といい、新たな年の始まりとして先祖にごちそうを供え、旧年中の恵み
への感謝と新たな年への豊漁・豊作祈願の行事が残る。
そして、その一つに冬至の日につくる雑炊(トゥンジージューシー)
があり、それを家族で頂いたりする訳だが、この雑炊の具に今では
国際保護鳥であるサシバ(ワシタカの仲間)を入れていた頃がある。
無論、1972年の本土復帰に伴い沖縄県に鳥獣保護法が適用される前の
事であったと思う。
ある日片足を長紐に繋がれたサシバが、馬小屋の近くに留められて
いた。亡き祖父が、どこからか捕獲してきたものだった。
近づくと、嘴を大きく広げ威嚇の姿勢を見せる。やたら足が太かった
のを覚えている。
祖父に、金目は赤目に比べ気が荒いから注意するようにと言われた事で
サシバにも種類がある事を知った。
しばらくの間は、餌を与えつつ飼っていたようだったが、冬至の日に、
精が付き風邪をひかないからと言われ、食卓の雑炊(ジューシー)の
中で、細切れになったサシバの姿が哀れだった。
食べる勇気は私には無かった気がするが、記憶の方が定かではない。
サシバは、ワシタカの仲間で渡り鳥である。
10月ごろに九州から、島伝いに数を増やしながら東南アジア方面へと
越冬に向かうのだが、沖縄方面で確認される頃には結構な数となる。
1995年頃には38,000羽近くが確認されたサシバだが、減少傾向を心配
されるなか今年も1万羽位は確認されているようだ。
休息後に飛び立つ際の帆翔(ソワーリング)が鷹柱と言われるものの
様で、宮古島で言われる“おおまい”という言葉がそれにあたるのでは
ないかと思われる。
思うに、10月移動のサシバと12月冬至のサシバでは、時間的に開きが
ありすぎる。よって島番鷹(スマバンタカ)を捕獲しての冬至膳であ
ったのではと推する。
島番鷹とは、傷ついたりして飛翔能力の衰えたサシバが島に留まる
ものをいう。古くは島を守るための神の使いと考えられた事もある
様だが…
懐かしい思い出である。
太陰太陽暦が長く生活に馴染む島では、冬至(トゥンジー)の日を冬至正月
といい、新たな年の始まりとして先祖にごちそうを供え、旧年中の恵み
への感謝と新たな年への豊漁・豊作祈願の行事が残る。
そして、その一つに冬至の日につくる雑炊(トゥンジージューシー)
があり、それを家族で頂いたりする訳だが、この雑炊の具に今では
国際保護鳥であるサシバ(ワシタカの仲間)を入れていた頃がある。
無論、1972年の本土復帰に伴い沖縄県に鳥獣保護法が適用される前の
事であったと思う。
ある日片足を長紐に繋がれたサシバが、馬小屋の近くに留められて
いた。亡き祖父が、どこからか捕獲してきたものだった。
近づくと、嘴を大きく広げ威嚇の姿勢を見せる。やたら足が太かった
のを覚えている。
祖父に、金目は赤目に比べ気が荒いから注意するようにと言われた事で
サシバにも種類がある事を知った。
しばらくの間は、餌を与えつつ飼っていたようだったが、冬至の日に、
精が付き風邪をひかないからと言われ、食卓の雑炊(ジューシー)の
中で、細切れになったサシバの姿が哀れだった。
食べる勇気は私には無かった気がするが、記憶の方が定かではない。
サシバは、ワシタカの仲間で渡り鳥である。
10月ごろに九州から、島伝いに数を増やしながら東南アジア方面へと
越冬に向かうのだが、沖縄方面で確認される頃には結構な数となる。
1995年頃には38,000羽近くが確認されたサシバだが、減少傾向を心配
されるなか今年も1万羽位は確認されているようだ。
休息後に飛び立つ際の帆翔(ソワーリング)が鷹柱と言われるものの
様で、宮古島で言われる“おおまい”という言葉がそれにあたるのでは
ないかと思われる。
思うに、10月移動のサシバと12月冬至のサシバでは、時間的に開きが
ありすぎる。よって島番鷹(スマバンタカ)を捕獲しての冬至膳であ
ったのではと推する。
島番鷹とは、傷ついたりして飛翔能力の衰えたサシバが島に留まる
ものをいう。古くは島を守るための神の使いと考えられた事もある
様だが…
懐かしい思い出である。
タグ :酉の市と火事
2011年11月27日
海の匂い
竹馬の友からの、久しぶりのメールである。
私の帰省をどこで嗅ぎつけたのか、来月の予定など問うて来た。
クソ寒い頃に突入し、南国産の私にはこたえます。との、季節の
ご挨拶と共に日程などを伝えた。
体調に十分留意し来月の帰省に備えるようにと、有難いお言葉である。
しかし、年中の風邪っ引きは友の方なのである。
私の帰省の度に、必ずと言っていいほど「体調不良にて動けません」
の期間が混在する。
意図的に避けているのかと思いきや、常にアンテナを高々と掲げる友には
こちらの動きが掴めるようで、こうして帰省予定が近くなった頃を見計らい
連絡などをくれる、有難い事である。
おそらくは、この機会にと同窓会の算段などしているのかもしれない。
私としては美しき宮古島の海を、匂いを、夕景を、夜明けの頃をと…
酒座よりもカメラと戯れる事を楽しみにしているバチ当たり者である。
そう言えば、やはりカメラ好きの愚弟に今回はカメラ持参で撮りまくろうと
誘いをかけたところ
「何を撮るかぁ? 経を読む坊主の頭をなぁ? ニイニイ(兄さん)の
スバ(下唇)をなぁ?」と、きた。
今回は法事の為の帰省である。
親近者に、受け顎にてやや唇に厚みのある者もいたりするわけで、それらを
被写体にとでも思ったのだろうか。
さすが同じカメラ好きでも、収集を主な目的とする彼の発想はぶっ飛びもので
ある。
「好みは人それぞれ、スバ(下唇)でも、プティ(傷跡)でも、
ウッス(後頭部)でも、好みで撮れ!」と、丁寧に返してやった。
ところで、両親が健在の頃、親こそが故郷なのだろうと思っていた。
しかしながら、両親が他界し故郷について改めて思う時
故郷とは、友が、見慣れた自然が、親への想いも含め留まる心こそが
そうなのだろうと思うのである。
友よこれからも宜しく。。
私の帰省をどこで嗅ぎつけたのか、来月の予定など問うて来た。
クソ寒い頃に突入し、南国産の私にはこたえます。との、季節の
ご挨拶と共に日程などを伝えた。
体調に十分留意し来月の帰省に備えるようにと、有難いお言葉である。
しかし、年中の風邪っ引きは友の方なのである。
私の帰省の度に、必ずと言っていいほど「体調不良にて動けません」
の期間が混在する。
意図的に避けているのかと思いきや、常にアンテナを高々と掲げる友には
こちらの動きが掴めるようで、こうして帰省予定が近くなった頃を見計らい
連絡などをくれる、有難い事である。
おそらくは、この機会にと同窓会の算段などしているのかもしれない。
私としては美しき宮古島の海を、匂いを、夕景を、夜明けの頃をと…
酒座よりもカメラと戯れる事を楽しみにしているバチ当たり者である。
そう言えば、やはりカメラ好きの愚弟に今回はカメラ持参で撮りまくろうと
誘いをかけたところ
「何を撮るかぁ? 経を読む坊主の頭をなぁ? ニイニイ(兄さん)の
スバ(下唇)をなぁ?」と、きた。
今回は法事の為の帰省である。
親近者に、受け顎にてやや唇に厚みのある者もいたりするわけで、それらを
被写体にとでも思ったのだろうか。
さすが同じカメラ好きでも、収集を主な目的とする彼の発想はぶっ飛びもので
ある。
「好みは人それぞれ、スバ(下唇)でも、プティ(傷跡)でも、
ウッス(後頭部)でも、好みで撮れ!」と、丁寧に返してやった。
ところで、両親が健在の頃、親こそが故郷なのだろうと思っていた。
しかしながら、両親が他界し故郷について改めて思う時
故郷とは、友が、見慣れた自然が、親への想いも含め留まる心こそが
そうなのだろうと思うのである。
友よこれからも宜しく。。
2011年11月20日
銀座の柳
さて、久々の銀座である。
銀座とは江戸幕府の銀貨鋳造所があった事が、その名の由来
らしい。
今日は9月に行った北海道旅行の反省会の名目での食事会である。
いつもの事ではあるが、皆で会う事が最大の目的であり反省会の
“は”の字はなく、喧しさだけは半端ない。
年問わば、花なら蕾の60代…無敵の世代である。
予約の店に着くまでをしゃべり、座してなおオーダーに痺れを切らす
店主を横目に捲し立てる。
果ては、各々の持ち寄り土産の交換会ときたもんだ。
流石にそこは、「ちょっと待て」と割って入り注文を促した。
ボージョレーヌーボ解禁直後ということもあり、ハーフボトルを食前酒に。
わずかなワインに気持ち良くなったのか、みょう~なテンションの高ぶり
発生が約1名あったが、何事もなく美味しく頂き店を後にした。
しばし銀座ブラリを楽しもうと、散策するも一人いない。
見れば「社交場 しろいばら」を案内するガイドさんの群れに混ざりこんで
いる??
なぜ?…かつての彼女の職場は銀座にあったはず。
今更ガイドを受ける事もあるまいにと、一声かけてみた。と、皆がそこに
いるのだと勘違いしてガイドの終わるのを待っていたと言う。
目の離せない友を意識しつつ駅に入ると、切符を買って来ると手にはPASMO
の彼女である。
んっ??もしや…
まさかと思いつつ「そのPASMOを青い所へタッチして入って大丈夫よ」と私。
「あら、こんなのでいいのォ!!」と、彼女。
マジかいな。
来るときの切符はPASMOにて購入したものと思われる。
電車に乗り込んで後、「入った時と同じ物でなければダメよね?」と、
ポケットから取り出したPASMOは5枚。
なぜに5枚も持ってるの?と、怒りにも似た感情を押し殺しながら
「今使ったのはどれ?すぐにそれだけ別にしておいてね」と、伝える。
そんな彼女が普段に、世界中を自在に動き回っていようとは信じがたい。
5枚のPASMOの理由は、普段は電車を使わない彼女が紛失したつもりで
過去に何度か作ったPASMOの束を、今回出掛けるにあたり偶然に見つけ
丸ごとポッケに放り込んで来たという事らしい。
物忘れの多いお年頃の私たち。。来年のラスベガス行きは忘れずにいて
ほしいものである。
銀座とは江戸幕府の銀貨鋳造所があった事が、その名の由来
らしい。
今日は9月に行った北海道旅行の反省会の名目での食事会である。
いつもの事ではあるが、皆で会う事が最大の目的であり反省会の
“は”の字はなく、喧しさだけは半端ない。
年問わば、花なら蕾の60代…無敵の世代である。
予約の店に着くまでをしゃべり、座してなおオーダーに痺れを切らす
店主を横目に捲し立てる。
果ては、各々の持ち寄り土産の交換会ときたもんだ。
流石にそこは、「ちょっと待て」と割って入り注文を促した。
ボージョレーヌーボ解禁直後ということもあり、ハーフボトルを食前酒に。
わずかなワインに気持ち良くなったのか、みょう~なテンションの高ぶり
発生が約1名あったが、何事もなく美味しく頂き店を後にした。
しばし銀座ブラリを楽しもうと、散策するも一人いない。
見れば「社交場 しろいばら」を案内するガイドさんの群れに混ざりこんで
いる??
なぜ?…かつての彼女の職場は銀座にあったはず。
今更ガイドを受ける事もあるまいにと、一声かけてみた。と、皆がそこに
いるのだと勘違いしてガイドの終わるのを待っていたと言う。
目の離せない友を意識しつつ駅に入ると、切符を買って来ると手にはPASMO
の彼女である。
んっ??もしや…
まさかと思いつつ「そのPASMOを青い所へタッチして入って大丈夫よ」と私。
「あら、こんなのでいいのォ!!」と、彼女。
マジかいな。
来るときの切符はPASMOにて購入したものと思われる。
電車に乗り込んで後、「入った時と同じ物でなければダメよね?」と、
ポケットから取り出したPASMOは5枚。
なぜに5枚も持ってるの?と、怒りにも似た感情を押し殺しながら
「今使ったのはどれ?すぐにそれだけ別にしておいてね」と、伝える。
そんな彼女が普段に、世界中を自在に動き回っていようとは信じがたい。
5枚のPASMOの理由は、普段は電車を使わない彼女が紛失したつもりで
過去に何度か作ったPASMOの束を、今回出掛けるにあたり偶然に見つけ
丸ごとポッケに放り込んで来たという事らしい。
物忘れの多いお年頃の私たち。。来年のラスベガス行きは忘れずにいて
ほしいものである。
2011年11月13日
酉の市と火事
春をまつことのはじめや酉の市 宝井其角
吉原ではぐれし人や酉の市 正岡子規
此頃の吉原知らず酉の市 高浜虚子
今年も酉の市の頃となり、十四日の二の酉、二十六日の三の酉
と続く。
そして、ふと思うのである。
東京界隈における酉の市の始まりは江戸時代とされる。
明治5年の太政官布告によるまでは、太陰太陽暦を使って
いたわけで、酉の市も旧暦によるもの。
今年でいえば、新暦の11/25~12/24までが旧暦の11月となり
11/26が一の酉、12/8二の酉、12/20三の酉となる具合である。
俗に三の酉まである年は、火災が多く発生すると伝承する。
…だから今年は…
新暦の1月から12月を指すような表現で言われたりするが、そこで
疑問が生じる。
暦の普及した今であれば、11月の酉の日をカウント確認して1月から
火災発生への注意をする事もあるだろうが、…江戸時代に??
太陰太陽暦(旧暦)では、冬至から冬至までで一年間を決め11月に
冬至を入れるよう暦が作られていると何かで読んだ。
そしてこの11月が十二支で言う所の「ね」の月としたようなのである。
とすると、旧暦における11月は新年ということになるわけだ。
新年の最初の月に三の酉の有る無しで火災への注意喚起と考えれば、
注意はこれからの時間に向けられたものとなる。
そうなると、普段に耳なじむ話とは少し違ってこないだろうか。
そう考えれば、其角の“春を待つことのはじめ…”の句も何となく
しっくりくる気がする。
とは言え「火事と喧嘩は江戸の華」の言葉も残れば、例え二の酉の年で
あったとしても、火事は多かったようだ。
秋の夜長ならぬ冬の夜長に、芭蕉の門弟「其角」の句と「子規」「虚子」
の句を味わいつつ、どうでもいい事に思いを寄せてみた。
酉の市と吉原とは、その位置関係からか共に詠まれる事が多かったのだ
ろうか。
ちなみに、東京近郊の酉の市は、花又村(現在の足立区花畑にある大鷲神社)
鷲大明神への感謝した収穫祭が始まりと伝えられ、浅草千束での酉の市
は、江戸後期の後発隊となるようだ。
2011年07月19日
夏山
誘われるままに山岳女子と化し、目指すは中央アルプス
千畳敷カールである。
マイカー規制の折、早朝の一番バスに間に合わせるため
駒ヶ根インターから菅の台駐車場へ・・・。
バスの発車時刻は5時15分となっていた。4時30分にアラ
ームをセットし仮眠。
目覚めれば、既にバス待ち人の列である。
「なぬ~!」
慌てて、身支度を整え列に加わる。
7月といえど山の朝、薄物の長袖を一枚重ねただけでは
心持寒い。
混雑時期ということもあり、バスも定刻の時間を繰り上げ
てか、ピストン輸送を行っている。
暫く待って乗り込んだバスで40分ほど行けば、ロープウェイ
乗り場の【しらび平駅】に到着だ。
ここでも混雑に、整理券を配布していたが、思いのほか早く
乗り込む事が出来た。
2600mの千畳敷カールへ到着したのが午前8時頃。
それからは、美しき山の景色にいちいち感激しながらも
宝剣岳を目指すが、体力の無さと心拍数の以上な上昇に
5m進んでは休憩、8m進んでは休憩。
同行の友人のコメカミの辺りに、青筋らしきものを見た気が
したが、そこは・・「我が道を行く」が、常のスタンス。
そんなものは気がつかないことにした。
人の3倍もの時間をかけて、宝剣岳の頂上までを往復するが
景観たるや、素晴らしいものであった。
カールとはドイツ語のようで、日本語では圏谷(けんこく)呼び
氷河期の浸食作用によって出来た広い椀状の谷の事を言うようだ。
千畳敷に限らず山崎カールや御前沢カール・涸沢カール・
剣沢カール・薬師岳カールなどいろいろと有る様子。
次回の誘いなどおおよそ望めない素振りの友人に、積極的に
働きかけ、カール巡りなど試してみたいものだと思う。

