2022年11月03日
ゆらりまゆ no 戸隠古道五社巡り(長野県)

戸隠山は標高1,904mの山であり、周囲に飯綱山や黒姫山、妙高山、新潟焼山などが連なる、新潟県と長野県に跨る妙高戸隠連山の1つである。
今回は長野県の戸隠古道にある戸隠神社五社を巡ろうと宝光社を皮切りに火之御子社(ひのみこしゃ)、中社、奥社の順に歩いてみた。
宝光社
宝光社の鳥居から社殿までは193の石段を登るのだが、中社の駐車場を利用してのスタートだったため石段の労はカットされた。
宝光社のご祭神は「天表春命(あめのうわはるのみこと)」
戸隠神社中社のご祭神のお子神であると案内には書かれる。開拓、学問、技芸、裁縫、安産など婦女子の守護神としての信仰を集めているようだ。
社殿は文久元年(1861年)に建てられたようだが、雪深いところにある奥社に対し冬場に住みやすい居住区として造られたのが宝光社であったようだとHPには書かれていた。
神仏習合時代の面影を残す寺院建築の様式を取り入れた権現造りなのだそうだ。
社殿の右側より細い道が奥へと続きその入り口に”神道(かんみち)”と記された小さな案内板があった。味のある案内板の文字に導かれるように火之御子社(ひのみこしゃ)へと向かう。
火之御子社(ひのみこしゃ)
宝光社から火之御子社(ひのみこしゃ)まではおよそ700mほどあるようだが、途中に伏拝所(ふしおがみしょ)というものがあった。かつてはそこから奥社まで見えたらしいが、今では木々に阻まれて確認はできない。
戸隠山の女人禁制も明治4年には解かれたようだが、それまではこの伏拝所(ふしおがみしょ)の場所から女性達は遥拝したのだろうと想像する。
火之御子社(ひのみこしゃ)の主祭神は、天鈿女命(あめのうずめのみこと)である。天照大神を岩戸の中から誘い出すために踊ったとされる神だ。
天の岩戸伝説で天照大神が二度と岩屋へ引き籠らないようにと岩戸を遠くへ放り投げたものが、遥か九州の高千穂より戸隠に飛来し戸隠山になったと言われているのだとか…神話の世界ですね。
夫婦の杉(二本杉)
火之御子社(ひのみこしゃ)社殿の左手奥にあり、樹齢500年を超えると言う夫婦杉を見事なものだと眺めつつ痩せ細った我ら夫婦杉に目を伏せて中社へと向かう
中社の鳥居
2020年に建て替えが行われた白木の鳥居は11メートルの高さがあるのだそうだ。当時で言うところの奥院と宝光院の中間に建てられたために中院と名付けられたのだとか。
明治初期の神仏分離により戸隠山顕光寺が戸隠神社となり宝光院は宝光社に中院は中社へと院から社へと名を改めている。
中社の社殿 ご祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、弟神の須佐之男命(すさのおのみこと)の度重なる非行が原因で天の岩戸に隠れた折、
神楽の創案により万民を安心せしめたという知恵の深い神が、ご祭神の天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)なのだと説明文には書いてある。
中社のご祭神に知恵を授かり火之御子社(ひのみこしゃ)の主祭神である天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞ったことが神楽の始まりとなるようだ。
さすがは高野山や比叡山と共に三千坊三山と呼ばれたこの地である。神代の昔より八百万の神に守られていたようであるが、神楽殿として独立した建物がないのが唯一気になるところである。
奥社入り口の大鳥居
下馬と彫られた石碑が何とも味がある。戸隠古道の全長は3kmだといい、この鳥居から奥社までの距離は2kmほどだそうだ。
かつての仁王門で現在の随神門
大鳥居を潜り少し歩くと随神門が現れるその門を入ると500mほどの杉並木が続く。入り口の大鳥居から随神門までが大門通りと呼ばれていたようである。
奥社への杉並木
顕光寺を中心として大門通りをつくり、坊は(僧坊:寺院内の僧の住む建物)その道側に集め参道や境内には植樹し杉並木を作り一山の威容を整えた。現在の杉並木はその時代に植樹され約400年である。と案内板には書かれる。
奥社参道
いかにも修験者でも現れそうな山路である。日本大百科全書によれば日本山岳宗教である修験道の開祖として崇拝されたのが役行者(役小角)だと書かれる。そして戸隠山の伝説上の開山者が学問行者なのだそうだ。
奥社への参道
修験者と言えば山伏そして天狗のイメージだが、修験者は鉱物資源を見つける事を目的に全国の山々を歩きまわったとする説や修験道の開祖である役行者そのものを渡来人とする説もある。
学問行者が飯綱山より投げた金剛杵が戸隠山の宝窟に留まり光を放ったとの伝説や戸隠山に現存するという三十三窟の岩屋など、学問行者が役行者の流れを汲むものだとすると……想像を膨らませる参道の景色であった。
奥社(御本社) 御祭神:天手力命(あまのたじからおのみこと)
天手力命(あまのたじからおのみこと)とは天の岩戸伝説において無双の神力をもって岩戸を開いた神とされる。宝光社のご祭神である 天表春命(あめのうわはるのみこと)の兄神でもあるようだ。
開いた岩戸を放り投げた結果に戸隠山が出来たとする様なので、天の岩戸伝説に関係のある神々を祀ってあるという事になる。かくして天照大御神は今日に至るまで天におわされるという事なのだろう。
神代の昔より時間は飛び、1612年戸隠山顕光寺は徳川家康より朱印高千石を与えられて「戸隠山領」が成立、同時に東叡山寛永寺(東京上野)の末寺となり山中は修験道場から門前町へと変貌していったと、宝光社宿坊組合のHPには記載される。
もともと比叡山延暦寺の末寺であった顕光寺だが、幕府が天台宗を東西に分け東を寛永寺の支配下に置いたためであると戸隠神社HPには書かれている。この家康から与えられたという朱印高千石の内容についてもなかなか興味深い記載があり面白い。
九頭龍社 御祭神:九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)
日本各地に残る九頭龍信仰の源は戸隠神社の九頭龍大神である。と、Wikipediaには書かれる
九頭龍とは九つの頭を持つ龍の事のようで龍の中でも最も神格が高いとされるようだ。地主神の象徴とされ水神を祀る九頭龍社だが修験者の山としても知られるこの地に鉱物資源と修験者との関係に期待したい思いである。
最後に御朱印は多少の時間がかかっても手書きに限ると思うのだが、書き置きの多い昨今に残念な思いです。
Posted by あんががま at 13:13│Comments(0)
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